maiko no ashiato

日々のきろく

夫と別れを決め離婚した後もう一度、一緒になりたいと思った3つの理由。

 

1.社会復帰不可能になりかけていた私を必死に引き止めるため行動してくれた。

元夫は私との別れを忘れようとしていました。

けれど、知人からなにやらおかしな行動(統合失調により)をしていると知った時、諸事情で直接会いに来ることはなかったものの、私のコミュニティに協力を仰いだり、

連絡先を知らなかった私の家族に何とか知らせてくれたりと動いてくれたんです

本人は何故そんなに必死に動いたのか、わからないと言っていました。

ただの責任感かもしれない。

けれど動いてくれた事実に代わりはありません。

私自身が知らず知らずに訪れていた人生のピンチから救ってくれたことに心が動きました。

 

2.絶望に立たされた時、思い浮かんだ人だった。

統合失調症で、絶望感と朦朧とする意識のなか心に浮かんだ存在は元夫でした。

精神病棟の公衆電話で奇跡的に覚えていた携帯番号にかけた時に彼が電話に出て、

妄想していた事を話すとその事実はないと言われ、その言葉をすっと信じることができました。

統合失調症の症状による妄想からの解放はなかなか難しいというのに。

長年一緒にいたことで声から嘘がないことがすぐにわかりました。

投薬もあったとはいえ、ずっと囚われていた妄想から解放された瞬間。

それと同時に、一緒に積み重ねてきた居場所としての思い出が溢れでてきました。

出会ってから10年、結婚は3年。

二人でつくり上げてきた信頼関係が自分にとってどれだけ支えだったのかを思い知った瞬間でした。

 

3.逆境に負けず努力していた。

彼はイベント業界の人間で2020年のコロナウイルス騒動で、仕事がなくなっていました。

離婚したのは2019年。

精神的な負担、圧力がものすごかったはずなのに、

彼は前向きに国からの融資や助成金をとり新しい技術を磨いていました。

その状況を見ていて、やはり一緒にいたい人だったと思いました。

どれだけ苦しくても前を向いて頑張れるという事ほど貴重な気質はないと思うんです。

 

 それでも別れてしまったから、

病がきっかけだったとしても私は別れを切り出してしまい、別々の人生になってしまった。

彼は私のいない人生を歩き始めています。

そしてわたしは障がいを発生してしまった。

一度決断してしまったことなのだから、私も私の時間を生きていくしかありません。

未練はあるけれど、今できることをやっていこうと思います。

 

頑張りたくても頑張り方を間違えると社会復帰できなくなるという現実を知った2020前半期。

 

経済的にも精神的にも自立したかったが

 

2020.1月下旬ごろ私は統合失調症になり、

陽性症状(妄想状態)が悪化して 4月に入院しました。

 

私には2019年まで夫がいました。

けれど2019年に重度の鬱を患い、そこから治癒する過程で躁うつの躁状態(ハイに状態)になってしまったのだと思います。

 

夫婦としてすれ違っていたこともあり、勢いよく離婚宣言してしまいました。

夫とは出会ってから10年近くの付き合い。

大切な存在をいとも簡単に手放してしまった。

 

何をしたかったのか、考えると何よりも精神的にも経済的にも自立し、

自信を持ちたかった。

「何をしているの?」(仕事)

と社会で言われた時、何とも言えない自分が嫌だった。

パートやアルバイトはしていましたが、鬱になりやすい体質でいつも長続きしませんでした。

だからひとりでも稼げるよう、技術を身につけようとしたところでした。

その最中ですれ違ってしまった。

本来躁でなかったら、もっと時間をかけて気持ちや状況を調整したのだと思います。

けれど、更に妄想の世界に入ってしまい、新年から積み重ねていた研修も、一部の記憶も失ってしまいました。

 

躁状態になって医師からもらっていた鬱の薬を引っ越した為飲まなくなったこと

離婚してからの手続きや片付け、

実家の老犬の介護、

技術研修、

いままで抱えていた家族の問題、

離婚後、躁状態で恋愛してしまったこと、

 

これらが妄想のきっかけになったのだと思うけれど、何が一番の原因で何がダメだったのかは未だにわかりません。

きっといくつもの要因が合わさってしまったのでしょう。

 

今回、双極性鬱と統合失調症で失ったものは、いくつもあります。

 

夫という存在

大切な人。

たくさんの思い出があって喪失感が強いです。

これから積み上げていきたかった未来がもうないと思うと悲しい。

 

また、アイデンティティーや記憶が一部消えて無くなってしまった時期がありました。

自分や本来やりたかったこと、信念を少しづつ思い出しているところです。

 

そして時間。妄想期間や治療のための入院で半年は過ぎてしまいました。

この間、技術の研修ができていたらと思うと本当に辛い。

 

けれど得たものもあります。

なぜ周囲の人間が堪えられることが自分には負担になるのか、

なぜすぐに体調を崩すのかわからなかった今までわかりませんでした。

頑張りたくてもなぜか頑張れなかった。

そんな甘えた自分が嫌でした。

だからこそ仕事が続かない理由を言語化してもらったことはとても大きい出来事だった。

事実を受け止め、障がいということを踏まえて行動できたら少しは変われるかもしれません。

 

だから、どんなに調子がよくても薬を抜くときは慎重にするし、

生活リズムを整えて行動したり、

スムーズに行動できるよう衣類や雑貨をコンパクトにする工夫をして、

働く日常への準備をしているところです。

 

私は精神病棟で、退院して日常生活にもどれるような治癒は困難に思える人々を見てきました。

未来の自分ではないかと不安にもなった時間もある。

けれど、そう考えて生き続けるのはあまりにつらいです。

不安になっているとき、入院中にできた友人に

 

「それは死ぬのを心配しているのと一緒だよ。」

 

という言葉をもらって救われました。

不安を抱えながらも前に進む勇気になりました。

頑張り方を間違えて、二度とと社会復帰できなくなるような頑張り方をしなければいい。

頑張り方も積み上げ方も人によって合う合わないがある。

 

そうおもって、毎日少しづつ前進したいと思います。

 

 

 

 

統合失調症、陽性症状の様子を教えてくれた知人の証言。

知人からの報告(知人視点)

 

2020.3月13日、共通の知人から連絡があった。

筆者とやり取りをしていたら、

死にそうと、おかしな発言。

何かただ事じゃない感じでどうしたらいいだろうかという内容だった。

 

私は以前から知っていた鬱が悪化したのではないかと思った。

この時点で直接接触するべきか迷った為、

直近で筆者と会った共通の知人からも様子を聞くと、やはり、妄想をしている節がある。

 

また、筆者がよく使うコミュニティの中で迷惑行為がなかったか確認すると、

迷惑行為があったことが報告される。

 

3月19日、とうとう私の実家まで深夜に筆者がくる。

ここまでくると私の家族にも危害が加わるのではと不安を覚える。

 

1週間で立て続けにそういった迷惑行為、不審な動きが会った為、

危機感をなんとなく感じて筆者の家族とのコンタクトを試みる。

SNSで見つけ出せなかった為、職場を探しあて会社に連絡。

会社から家族に連絡がいき、家族と連絡をとりあうことに成功する。

以前の鬱症状や妄想っぽい行動から調べた結果、統合失調症ではないかと説明する。

 

 家族は仕事で忙しいことも理解した為、協力者として筆者の古くからの友人にも協力を仰ぐ。 

家族は筆者に会い症状を確認。

保健センターに相談をし、親族と古くからの友人を引き連れ病院に行くよう説得。

結局、1度病院に行くことに苦戦したが、

家族の説得のみで2回目の受診。

薬を飲まなかったことがその場で判明し、保健センターを通さずそのまま医療保護入院となった。

 

筆者の私自身が感じたこと

わたしは人と深く関わることは苦手だけれど、

好奇心があり人と関わることが好きな性格でした。

 

関わっていたコニュニティーには大変な迷惑をかけ、もう関わることができなくなってしまった。

けれど、関わっていたコミュニティがあったからこそ知人に異変に気づいてもらえるきっかけになったのです。

 

また数は少ないながらも、

いざという時行動してくれる家族、友人、知人がいたことに感謝したいです。

なかなか人は行動に移しにくいというのに…。

わたしもいざという時、他者のために動ける人間になりたい。

その為にも、病気を克服し余裕をもてるよう、

自立してひとりで生活を営めるよう、

励もうと思います。

 

『グッド・ウィル・ハンディング/旅立ち』を鑑賞して

 

あらすじ

 

だれもが憧れる頭脳明晰の才能をもちながらも心に傷を愛する人に心を許すことができない青年に心理学者が心を開くよう試みる。

しかしその心理学者も最愛の妻を亡くし失意の中にいた。

二人は治療のなかで心をぶつけ合いながらお互い心を開いてゆく。

 

 

映画を見たきっかけ

 

この映画を見た時、わたしは統合失調症により2ヶ月間の入院生活をする中で見つけた映画でした。

精神的な描写があるのかと思い興味を思いましたが、内容は見るまであまり把握していませんでした。

けれど、統合失調症の症状によってかけがえのないものを失ったとき。

 

愛とは?

人生で自分にとって大切なものは?

 

と自身に問うているときだったので、この作品とは良い出会いになりました。

 

おもったこと。

 

日常の人間関係や心理学者とのカウンセリングをする中で、

青年が他人を信頼すること、受け入れることを拒み、葛藤しているシーンは、

どの言動も胸が胸が痛くなりました。

 

記憶に新しい入院生活で、

心の支えになってくれた人の存在を思い出したんです。

拒絶され、愛を知らずに育った人の心はとても複雑で頑な。

心の底から信頼しあえる関係をつくることが困難なことを傍で見てきました。

心の支えになってくれた彼女も、心の傷に苦しんでいて、なにか私にできたら。そう思わずにいられませんでした。

 

友人、恋人、社会で出会う人々それらの中で、

本当に自分を思って発言してくれる人物はとても限られています。

そんな存在を本当に大切にできる人間に成長したい。

私は病でそれを失ってしまったから、克服したい。

 

心理学者が最愛の存在を語るシーンは何より魅力的でした。

そして、心理学者のように失意に落ちている今。

もう一度、素晴らしい存在に出会えるよう。

人と向き合って、素晴らしい人々との出会いをみつけだしたい。

自分が本当に望むこと、できることを見つけ出して励みたい。

退院後の人生再スタートを切るのに背中をポンと押してくれるような、

素晴らしい映画でした。