maiko no ashiato

日々のきろく

頑張りたくても頑張り方を間違えると社会復帰できなくなるという現実を知った2020前半期。

 

経済的にも精神的にも自立したかったが

 

2020.1月下旬ごろ私は統合失調症になり、

陽性症状(妄想状態)が悪化して 4月に入院しました。

 

私には2019年まで夫がいました。

けれど2019年に重度の鬱を患い、そこから治癒する過程で躁うつの躁状態(ハイに状態)になってしまったのだと思います。

 

夫婦としてすれ違っていたこともあり、勢いよく離婚宣言してしまいました。

夫とは出会ってから10年近くの付き合い。

大切な存在をいとも簡単に手放してしまった。

 

何をしたかったのか、考えると何よりも精神的にも経済的にも自立し、

自信を持ちたかった。

「何をしているの?」(仕事)

と社会で言われた時、何とも言えない自分が嫌だった。

パートやアルバイトはしていましたが、鬱になりやすい体質でいつも長続きしませんでした。

だからひとりでも稼げるよう、技術を身につけようとしたところでした。

その最中ですれ違ってしまった。

本来躁でなかったら、もっと時間をかけて気持ちや状況を調整したのだと思います。

けれど、更に妄想の世界に入ってしまい、新年から積み重ねていた研修も、一部の記憶も失ってしまいました。

 

躁状態になって医師からもらっていた鬱の薬を引っ越した為飲まなくなったこと

離婚してからの手続きや片付け、

実家の老犬の介護、

技術研修、

いままで抱えていた家族の問題、

離婚後、躁状態で恋愛してしまったこと、

 

これらが妄想のきっかけになったのだと思うけれど、何が一番の原因で何がダメだったのかは未だにわかりません。

きっといくつもの要因が合わさってしまったのでしょう。

 

今回、双極性鬱と統合失調症で失ったものは、いくつもあります。

 

夫という存在

大切な人。

たくさんの思い出があって喪失感が強いです。

これから積み上げていきたかった未来がもうないと思うと悲しい。

 

また、アイデンティティーや記憶が一部消えて無くなってしまった時期がありました。

自分や本来やりたかったこと、信念を少しづつ思い出しているところです。

 

そして時間。妄想期間や治療のための入院で半年は過ぎてしまいました。

この間、技術の研修ができていたらと思うと本当に辛い。

 

けれど得たものもあります。

なぜ周囲の人間が堪えられることが自分には負担になるのか、

なぜすぐに体調を崩すのかわからなかった今までわかりませんでした。

頑張りたくてもなぜか頑張れなかった。

そんな甘えた自分が嫌でした。

だからこそ仕事が続かない理由を言語化してもらったことはとても大きい出来事だった。

事実を受け止め、障がいということを踏まえて行動できたら少しは変われるかもしれません。

 

だから、どんなに調子がよくても薬を抜くときは慎重にするし、

生活リズムを整えて行動したり、

スムーズに行動できるよう衣類や雑貨をコンパクトにする工夫をして、

働く日常への準備をしているところです。

 

私は精神病棟で、退院して日常生活にもどれるような治癒は困難に思える人々を見てきました。

未来の自分ではないかと不安にもなった時間もある。

けれど、そう考えて生き続けるのはあまりにつらいです。

不安になっているとき、入院中にできた友人に

 

「それは死ぬのを心配しているのと一緒だよ。」

 

という言葉をもらって救われました。

不安を抱えながらも前に進む勇気になりました。

頑張り方を間違えて、二度とと社会復帰できなくなるような頑張り方をしなければいい。

頑張り方も積み上げ方も人によって合う合わないがある。

 

そうおもって、毎日少しづつ前進したいと思います。